松井です。昔話から初めて、最後は野菜の話。
2012年3月。もう6年以上前のある日に、生まれて初めて救急車を呼んだ。
仕事終わりの午後9時過ぎ。畑から片道1時間の福井市にあるヤマト運輸の支店に、いつもの野菜の配送をお願いした帰り道で、突然に背中の内側が痛み出した。
トラックのハンドルを握りしめ、徐々に激しくなる痛みに運転どころではない恐怖を感じて途中で国道沿いのネットカフェに寄った。
ネットカフェで少し休めば楽になるかもしれない。甘い考えで青息吐息、横になれる部屋を尋ねて這うように教えられた部屋に転がり込んだ。
ただ正直その後のことは覚えていない。意識はあった、はずだ。部屋で30分ほど痛みに朦朧としていた。横になったもののさらに悪化する痛みに吐き気もしだし、フロントに行き救急車を頼んだことだけをかろうじて覚えている。
あの時のネットカフェの料金は支払っただろうか。それすらもまったく覚えていない。
「死ぬかもしれない。」
心からそう思ったのは、40年生きてきてあの時だけだ。
救急車で病院に着き、タンカで運び込まれ点滴を刺された。意識があるならば軽傷といわんばかりに夜間救急では交通事故患者が優先され、待たされ悶絶することさらに2時間。死を覚悟して青ざめた表情の僕をあざ笑うかの様な雰囲気で、当直の若い医者が言った。
「尿管結石ですね。できるのは痛み止めだけ。明日も痛くなれば近くの病院に行くといい。たぶん痛み止め以外は何もすることないと思うけどね。じゃあ、はい、痛み止め飲んでね。痛みが引いたら帰っていいですよ。」
あっけなかった。死の覚悟をせせら笑う声が聞こえてくるようだ。
次の日からは、痛み止めと大量の水を飲むだけ。数日後、カラーンと爽快な音を立ててごつごつとした5mmほどの褐色の、まるでビーツの種のような石が体から出て行った。
医者ではないので僕は病気のことは詳しくわからない。ただ、少しだけ調べてみた。腎臓という臓器は、血液内から不要なものを漉しとる役目をしている。漉しとった体に不要な物質は、膀胱を経由して尿として排出される。腎臓から膀胱までの尿の通り道を尿管という。尿管結石は、その尿管に本来なら尿に溶けて流れるはずの不純物が結晶化して固まって詰まり、尿が通れなくなる症状だそうだ。
尿管を詰まらせて激しい痛みを生み出す結晶の代表的な物質にシュウ酸カルシウムがある。化学式CaC2O4。シュウ酸(構造式HOOC-COOH)とカルシウム(Ca)が結合した物質。
カルシウムは私たち人間には欠かせない物質だ。小魚を食べ牛乳を飲み積極的に摂取すべきもので、私たちの骨や歯を構成する。取り過ぎて体を作るのに使えなかったカルシウムは、体外に排出されることもあるそうだ。
一方のシュウ酸は、例えば生のホウレンソウなんかに多く含まれているということで悪名高い。あまり体によくない物質だ。
それらが結合して、あの地獄のような痛みにうなされたわけだろう。シュウ酸カルシウムは毒物及び劇物取締法でも劇物に指定されている。
そのシュウ酸。漢字では蓚酸と書く。
英語では、oxalic acid。オキザリックアシッドと読む。
acidはもちろん「酸」。oxalicは「oxaliceの」という意味。oxaliceをカタカナで書くと「オキザリス」。
オキザリス、オキザリス、和名はカタバミ。道端に生えているハートの形がかわいらしい、いわゆる雑草のひとつ。
カタバミはシュウ酸を多量に含む。オキザリック・・まさに物質名の由来となるほどに。
カタバミは、ひとたび噛むと、口をすぼめるほどにすっぱい。噛めば噛むほど、よりすっぱい。含むシュウ酸がすっぱいのだ。つまり体に良くない物質を多量に含む、そういう葉。
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農業をやっていて、時折お店のほうからリクエストをいただくことがある。「こんな野菜は無いのか?」「こんな野菜を作ってくれ」と。非常に光栄なことだ。当社のマイクロプランツも一風変わったハーブも、そういう経緯から商品化されたものが多い。
「飾り葉にカタバミを使いたい。出荷してほしい。」と言われることが結構よくある。カタバミはおもにフランス料理で使われる。ただ、このリクエストに応えるべきか否かをずっと思い悩んできた。一言でいえば毒とも言えるシュウ酸を、多く含むからだ。
他のリクエストとして「未熟の青いトマトがほしい」と言われたこともある。トマトが赤く色づく前のまだ緑色の状態で、火を入れて使うそうだ。言われると試してみたいと思い、緑色のトマトを取ってきて少し焼いて食べてみた。なるほど酸味が心地よくこってりした何かの肉と合わせると絶好の食材になりそうだ。
ただしこの「青いトマト」にも毒が含まれている。というか、トマトは芽にも葉にも緑色の部分にはすべて毒がある。トマチンと呼ばれる物質がその毒だ。そしてトマトがまだ未熟な緑色の時はトマチンを多く含む。赤く熟すとトマトに含まれるトマチンは1000分の1となり、ほとんど検出されない。
トマチンは、ジャガイモの芽に含まれる毒ソラニンと似た成分。ジャガイモは芽が出たらその部分を回りごと取り除かなければ食べてはならないと言われている。
オキザリスも青いトマトも、料理に使えるものだとは思う。けれど毒を多く含むとわかっていて、しかも自らその毒によるかもしれない痛みも経験してなお、オキザリスを売っていいのか。毒をより多く含む未熟な状態で、青いトマトを売っていいのか。
一度に食べるのがごくわずかな量だったらいいのか。プロの調理師であるお店のシェフからのリクエストだったらいいのか。
そもそも我々食べ物をつくる農業者は、人間が「生きる」ために必要なものを作っているのではないのか。人間の体を作り、より健やかなるためのものを作るのが仕事の大前提ではないのか。その農業者が、毒をより多く含むとわかっているものを、わかっていて作っていいのか。わかっていて売っていいのか。
農業を始めて以来ずっと自問自答し、そして明確な答えが出せなかった。答えの出せない間は、お店からの依頼は申し訳なく思いながら保留にし続けた。
けれども。そろそろきちんと立ち止まって考える時が来たように思う。
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およそすべての食べ物にはおそらくごく微量ずつ、大量に取れば毒となりうる成分を含む。塩だって、大量に取れば毒であり死に至る。成人の致死量は200g。案外少ない。
シュウ酸の致死量はシュウ酸塩換算で15g。オキザリスの生の葉1㎏分。
トマチンの致死量は1.6g。未熟な青いトマト34個分。
どう間違ったって、健康を害するほどの量は食べられなさそうだ。
例えばダイコンにも、毒がある。おろしダイコンの辛みとなるアリルイソチオシアネート(厳密には細胞が破壊されたときに酵素の働きで生成される成分)。人間の致死量に関するソースは少し探してみつからなかったが、ラット試験のLD50は339㎎/kg。劇物指定がLD50で300mg程度。
もちろん、大根を大量に取れば危険なのだろうが、人間そんなに大根おろしを食べることはできない。(アリルイソチオシアネートは前述のように細胞破壊時に生成する揮発性の高い物質のため、厳密に発生量を量る方法は無いようだ。だからダイコン何本分という計算はできなさそうだ。)
ダイコンにごく微量の毒となり得る物質が含まれているとして、だからといって僕はダイコンを作り売ることをやめることはあり得ない。そう、およそすべての食べ物にはおそらく微量ずつ、大量に取れば毒にだってなるものが含まれているのだ。そして人間はただ単に、毒となるほど大量に食べなければいいだけのことだろう。
ならば。ならば・・・・。
厳密には危ないのか。いや、量のことも考えるならば危ないことなど万に一つもないのだ。ならば、と思いオキザリスを出荷することに決めた。13年の悩みを経て、今日、決めた。だから今、当社のウェブサイトに商品をアップロードした。積極的に売ることはしないし、そもそもきれいなものが収穫できるかどうかわからないけれど。
僕の大好物のひとつに、地鶏の胸肉の刺身がある。ササミではなく、胸肉。説明不要なほどに、問答無用に、危ない。危なすぎる。付いている可能性があるのは毒ではなく菌だけれど。それでも僕はたまに新鮮な地鶏を、刺身で食べたくなる。腹をくだしてでも、わさび醤油で胸肉の刺身を食べたい。そのために、とあるところでそれを手に入れるためだけに、片道3時間車で走り冷蔵しながら持ち帰ることがよくある。その時の僕には、美味しい物を食べたいという願いだけが頭の中を占めている。
そういう僕の小さな願いと同じように、もしそこにオキザリスが絶対に必要となる料理があるのならば、その料理を作りたいというシェフの願いのために、そして美味しい物を食べたいというレストランゲストの願いのために、今日から僕は、オキザリスを収穫するべきだと判断した。
収穫の時の味見はしないけどね。
商品ページ:マイクロリーフ・オキザリス
※青い未熟なトマトは収穫の体制が整っていないので、今のところ出荷しません。